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100年後に通じる織物を作る 文化庁長官表彰受賞 明石文雄の仕事と西陣織

100年後に通じる織物を作る 文化庁長官表彰受賞 明石文雄の仕事と西陣織

豪華絢爛に装飾が施された山車が町を練り歩く、京都の祇園祭をはじめ日本の祭に良く見られる風景だ。そんな山車を彩る幕の製作は、織物屋の情熱とプライドが詰まったドラマだ。祭礼幕の復元・新調のプロフェッショナルの物語。

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100年の時を再び創る仕事  ー 祭礼幕の製作・復元

この世にたったひとつの祭りの幕

豪華絢爛な祭の山車。「山・鉾・屋台行事」としてユネスコの無形文化遺産にも登録される(※)ように、日本のお祭りには山車が重要な役割を占めるものも多い。山車は、人形や彫り物、花などで豪華に飾りつけられるが、布が掛けられているのをご覧いただいたことは無いだろうか? 赤いフェルトのような生地に刺繍がなされたもの、染物、織物、よく見ると結構な割合で様々な種類の布があり、それらの布は、山車幕・祭礼幕などと呼ばれている。

祭礼幕がかけられた祭の山車(祇園祭 長刀鉾)
左:山鉾巡行時の長刀鉾
右:長刀鉾 見送幕(原図:「旭日鳳凰図」伊藤若冲筆、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 )

川島織物セルコンの事業のひとつに、このような山車に掛けられる布の製作・復元がある。一口に祭礼幕といっても製作時期も作り方も千差万別、製作や復元の作業はひとつひとつ取り組み方が異なる。
復元新調の進め方は大まかにはこうだ。
  1. 元の幕(旧幕)の調査
  2. 仕様決定
  3. 原画・下絵の制作
  4. 染色
  5. 製織・刺繡
  6. 仕立加工
ただし、進め方に決まりはなく、誰にも正解は分からない。 特に100~数百年前に作られた幕(以下:旧幕)を、製作当時の姿になるべく近い形で作り直す “復元新調”といわれるものは、旧幕の製作年代によって素材や製作技法が異なったり、もともと違う目的で作られた織物が祭礼幕として使われていたりなど、謎解きが必要な時もあり、作業が一筋縄に進むといったことはなかなか無い。 特に仕様の決定に至るまでには、様々な可能性を考える試行錯誤の日々が続く。

※2016年 ユネスコ無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」登録

出来ない事、無くなったモノも・・・

IT、AIと技術は大幅に進化し、手のひらに収まるスマートフォンで、何だって出来るような錯覚に陥ることもある。しかしその一方で、復元事業などと向き合っていると、失ったものも多くあることに気づかされる。例えば、金糸や金箔の材料に使う金。金は純度によって色が異なる。本金を使って作られる糸も以前は様々な太さや金の純度のものが手に入ったけれど、今は生産される種類が限られてしまった。

現在、西陣織が危機的な状況にあることは間違いない。和装の需要がバブル期を境に減少を続けているのだから、当然と言えば当然だ。
西陣織は、高度に細分化された分業体制のもとで製作を行う。それぞれの業種において、高い技能を身に付けた熟練の職人の高齢化が進む一方、需要の減少に伴って後継者が育てられない状況があり、あらゆる業種において限界が近付きつつある。また、製作にまつわる機械や材料なども含めると、何千との職種がある中で、需要が減ると仕事量が確保できず、廃業せざるを得ない職種も出てくる。すると手に入らないもの、出来ない加工が生じてくる。その一例が金なのだ。

今、最善を尽くして、100年後に伝える

今やる! やらねば、出来ない事は増えるばかり

先述のとおり、祭礼幕には様々な種類があるが、当社が一番多く手掛けているのが織物の幕だ。16世紀頃にヨーロッパで作られた毛綴(ゴブラン織)や、14~17世紀頃に中国で作られた 剋糸織(こくしおり、日本で言う綴織)などを復元新調することもある。織物の製作に携る者に言わせると、「当時の織物は力強い、圧倒される」「惹きこまれるような魅力」という。確かに手に入らなくなった材料もあるが、道具は格段に進歩しているし、逆に精度の上がった材料もあるだろう。なのに何がそんなにすごいのか? それは工芸的な表現のための工夫や技の集積が膨大だったからだろうという。「今の川島織物セルコンの緞帳やタペストリーには絵画的な再現性を競っているような所もあるけれど、絵画に従属しなかった時代の織物を意識することも必要かもしれない」

刻糸織(明綴と呼ばれることもある)は、経糸(たていと)が現在当社で良く製作する帯の約2倍の本数が使われていると言われている。ということは、我々が通常使う物よりかなり細い経糸が使われているという事になる。今の常識では、織っている間に糸が切れてしまうと考えられる細さだ。
今、復元しようとしても、当時と全く同じ材料と手法で出来る環境にはない。出来ないことは増える一方だ。今、取り掛からなければ、この織物や技術はますます後世に伝えられなくなってしまう。

織物屋のプライドに掛ける 復元新調のプロフェッショナル明石文雄

「ここはどっちの色でいくべきなんかいな。もうちょっとくすませるべきか?」
明石文雄 74歳。着物の帯の企画・製作を担当した後、祭礼幕の製作・復元を手掛け、約半世紀にわたり織と関わってきた川島織物セルコンの祭礼幕事業の第一人者である。
今日も明石の声が、現場から聞こえてくる。実際に現場で織や染を担当する技術者と対等に話が出来るのが、明石の強みだ。

復元新調方法を従業員と議論する明石(右から2人目)

今までに手掛けた織物は、ピンからキリまで“数えきれない”という。相当数を目にしてきたからか “少々の事では驚きもせえへんよ” などとツレない事を口にするのだが、中には「これは復元しなあかん」と感じるものがあるという。
そんな時、明石が全力で動き出す。

旧幕(復元対象の幕)の調査はもちろん、今は出来ない技法や入手できない材料で作られているものの代替案の検討もする。復元事業は行政の補助金事業が適用されることも多く、事業計画と、審査・申請のタイミングも大きなポイントとなる。年度ごとにどのような作業を行っていくのか、綿密なプランを作成し、行政担当者、専門家も交えた検討会で方向性をまとめ上げていく。
また、必ずしも全ての旧幕の出来が良いわけではなく、時に脆弱な素材や純度の低い金糸が使われているなど、そのまま復元することが最善とは限らないケースもある。そのような場合は、”感動されるような美しさ”と”経年の劣化に耐え現役で飾られている強度”を100年先に兼ね備えているような幕の製作をめざし、専門家や祭の保存会などの所有者と意見交換をしながら、 幕の表現を高められるような綿密な復元のプランを練っていく。

祭の保存会の方々と、作業方法を検討する(中央左)

誰にだって言うコトは言う ― 作ることは自分が一番知っている ―

「専門家の先生方と直接お話出来る機会をいただけて本当にありがたい」と同時に、出来る限りの知識は詰め込んでおかねばと、最後の仕上げを依頼する金具屋や仕立て屋にも通い作業をじっと見守る。
例えば、金メッキが施された金具は、旧幕が製作された頃は金を水銀に溶け込ませ、加熱して水銀を飛ばして地金に付着させるという古来からの水銀メッキ法で製作されていたが、今は電気メッキが殆ど。電気メッキは多数の金具を一気にメッキすることができるが、出来上がりの光沢がピカピカになりすぎてしまう。そのような場合は、メッキした後に加工を加えてほんの少しだけ艶を消すことで、誤差をうまく調整する。 こんなことを何度も通って少しずつ知識にしていく。
「電気メッキは一度にたくさん加工ができるので時間も費用も節約できる。パッと見は水銀メッキと分からんレベルの出来上がりまでになるけど値段は一桁違う。今はやりのコスパ優先で考えると電気メッキになるんやけど、復元はそういうのとはちょっと違う世界なんやなあ」と明石は苦笑いする。

一方で、「作るという面では、私が一番知っているという自負もある」から、ここぞという時には、もちろん意見もするし反対もする。それは社内に対しても同じだ。採算が合わないなど、受注を悩む案件とて、織物屋のプライドに掛けてやるべき仕事とみると、トップへの直談判だってする。

そんな明石の情熱が、川島織物セルコンの祭礼幕事業を支えてきた。
2016年の夏、夏の京の風物詩、祇園祭の山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の見送が新調された。長刀鉾保存会の財団法人50周年記念事業として行われたものだったが、保存会より絶大なる信頼をいただき、伊藤若冲筆「旭日鳳凰図」(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)を原図とする見送りを完成させた。新しく一から製作するという ”新調” 事業は、原本がある復元新調とは違った創造的な難しさがある。
また、昨夏お披露目された 祇園祭 山伏山 の水引幕をの復元新調を牽引したのも明石だ。奈良国立博物館で2018年にお披露目された 綴織當麻曼荼羅 部分復元模造 の製作の際にも大変な苦労をした。(糸のみほとけ―国宝 綴織當麻曼荼羅と繡仏 – 展:奈良国立博物館

旧幕をルーペで調査する。「あっ、もうこんな時間か」こうなると、昼食を取り忘れる事もしょっちゅう。

2021年12月、長年にわたり日本全国の山・鉾・屋台行事の保存や伝承に尽力したことが評価され、「祭屋台等製作修理技術者会」からの推薦で 文化庁長官表彰 を受けた。実際に新調・修理の作業に携わる技術者ではなく、製作側のまとめ役の者が表彰を受けたのは初めての事ではないだろうか。

現在、川島織物セルコンの工場では、見たことの無い細い経糸(たていと)が張られた綴織の織機が動いている。かなり前にも復元新調が出来ないかとの打診を受けたことがあったが、その時はあまりの細かさに、とても織れるものではない・・・、と断った。しかしその後、保存会より、どうしても復元新調したいと再度依頼を受けた。「川島織物セルコンの総力を挙げてやってくれないか、とまで言っていただいたら、断れへんやろ・・・(笑)」
明石の挑戦は続いていく・・・。

「ここもうちょっとだけ(糸の入れ方を)斜めにしたら、この人の表情、少しやわらかならへんか?」
織っているところを拡大したところ
左:当社でよく生産する帯 1寸/3.03cm 間の経糸(たていと)は約40本
右:現在挑戦中の織物 1寸/3.03cm 間の経糸は約85本

100年先の人々に感動を与えるモノづくりを

川島織物セルコン 商品本部生産部技術顧問 明石文雄

― 作り手として評価をいただけた事がうれしい 文化庁長官表彰を受けて
このような評価をいただけて、少しホッとしている。
お祭りの幕の製作で補助金の対象となっている復元新調事業は、現在、殆んどが価格競争入札で担当業者が決定される。いい仕事をしようとすれば、当然価格は高くなり、製作を担当(受注)することが出来なくなってしまう。私は当社は綴織の分野では他に抜きん出た技術があると信じているので、希少な綴織の復元の話があると、利益を度外視してでも仕事を取りに行った事もあった。旧幕より見劣りする幕が世の中に出ていくことに、織物屋としてのプライドが許さなかったんだろう。
そんな無茶もやってきたので、批判的に見ている人もいると思うし、会社が苦しかった時などは利益面で貢献できなかったのは残念だけれど、今までの仕事を認めていただけたのかなと思う。

― 元の幕に負けてられへん がモチベーション
モノづくりに携わる人間にゴールは無いと感じている。もっとうまく出来るのではと、常に考えてしまう。そんな思いでいると、素晴らしい幕に出会った時に、「これに負けないものをつくってみたい」という思いになる。今、私がアッと驚いたような事を、100年後の人に起こしたい。結構キツイ事も多いが、これがモチベーションの源泉だ。
学校の勉強はあんまりしなかったけど、仕事の勉強はまあまあしたかな。

― 若手が経験を積む機会をつくりたい
今、かなり細い経糸の織物に挑戦している。現在、当社に在籍する従業員には、これほど細い経糸のモノを手織りで織ったことがある者はいない。当初、本当に出来るのか?という不安がよぎったが、頑張ってくれている。
また昨年には、表具屋さんを通じて東京国立博物館所蔵の清代の巻子紐の復元の話をいただいた。紐なので幅が僅か1cmという織物だ。このような物は織った経験はなかったけれど、織り担当の技術者がいろいろと工夫をしてくれて思いのほか順調にことが運び、文化庁、東京国立博物館の学芸員に大層喜んでいただいた。
バブルの頃までは、高価な凝った織物が売れたし、作る機会もあったから、そのおかげで腕も上がったが、今はなかなか特徴的な織物を製作する機会が無い。このような仕事を通じて、経験を積んでもらい、技術者の技術向上に繋がればと思う。

― 日頃から良いモノを見る事を心がけて
 一流の中から、超一流が見分けられるようになる

こういう仕事は、モノの良さを見極める目利きの力が必要と思っている。こういう仕事に携わる若い方には、日ごろから良いモノを見る事を習慣づけて欲しい。美術館・博物館に通うなどでもいいと思う。
一流を見極められるようになるのはさほど難しくない。その中から超一流がわかるようになったら、仕事がグンと面白くなった。私は陶器や仏像を見るのも好きなのだが、例えば重要文化財の中から次に国宝に指定されるものを予想してみるなど、楽しみながら鑑賞していた。
何をするにも、常に勉強は必要だと思う。楽しみながら身につける方法を見出し、何事にも興味を持って取り組んでもらえればと思う。

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