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供養とは、全てのものの「いのち」への感謝 — 帯供養について京都・常照寺 奥田住職に聞く

供養とは、全てのものの「いのち」への感謝 — 帯供養について京都・常照寺 奥田住職に聞く

かつて人々は、長年使ったものが役目を終えた時に、感謝の意味を込めて供養しました。そのため、日本にはさまざまな供養塔があり、そのなかに和装には欠かせない帯の供養塔「帯塚」があります。帯塚があるのは、京都・洛北鷹峯にある常照寺。今回は、帯塚の所縁や供養の意味などを紐解くため、常照寺の住職・奥田正叡氏にお話しを伺いました。

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常照寺について

本阿弥光悦ゆかりの常照寺

常照寺の起こりを教えていただけますか。
常照寺建立の縁起は、書家、陶芸家など多方面で活躍し、琳派の祖とも言われる本阿弥光悦(※1)が、1615(慶長20)年に徳川家康から京都・洛北の鷹峯の地を拝領、本阿弥家一族や芸術仲間、弟子らとともに移住したことにはじまります。鷹峯は、光悦らの移住をきっかけに、芸術の拠点であり、法華経信仰の理想郷「光悦村」として発展していきます。そして、熱心な日蓮宗の信者であった光悦が1616(元和2)年に鷹峯の土地を寄進し、寂照院日乾上人を開山に招いて、常照寺を建立しました。

お伺いした際に、艶やかな朱塗りの山門がとても美しいと感じました。
山門は、別名「𠮷野門」と呼ばれ、二代目𠮷野太夫(※2)に所縁があります。二代目𠮷野太夫が本阿弥光悦をご縁に、寂照院日乾上人に帰依し、23歳の若さで寄進したものです。山門は、俗の世界と仏の世界を分ける、結界の意味を持ち、お寺のシンボルです。𠮷野門を見上げるたびに、「この門をくぐった人は皆、仏の世界に入って欲しい」という二代目𠮷野太夫の篤い信仰心を感じます。

二代目𠮷野太夫が寄進した山門

二代目𠮷野太夫は、容姿端麗に加え、茶湯や華道、香道、書、俳句、和歌、三味線、囲碁などの諸芸能に秀で、名だたる文人や茶人をもてなし、御所に上がることが許された松の五位(従五位)の官位を授かった方でした。二代目𠮷野太夫が亡くなった後は、『色道大鏡(しきどうおおかがみ)』『続近世畸人伝(ぞくきんせいきじんでん)』『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』など、二代目𠮷野太夫を取り上げたさまざまな物語「𠮷野伝説」が作られました。また、二代目𠮷野太夫の名前を冠した裂地「𠮷野間道(かんどう)」や裏千家で用いられる茶道具「𠮷野棚」のほか、歌舞伎演目「桜時雨」も二代目𠮷野太夫が登場します。歌舞伎演目「桜時雨」を好演された十三代目片岡仁左衛門さんは、二代目𠮷野太夫と夫・灰屋紹益を偲んで供養塔を建ててくださいました。歌舞伎をはじめ、茶道や華道など多くの芸事の世界の方々が、参詣され、芸道精進を祈念されています。皆さん、二代目𠮷野太夫を慕って、お越しくださるようです。

和装文化の象徴は帯 帯塚建立に至るまで

芸事に優れ、身も心も美しい女性である二代目𠮷野太夫とのご縁は、帯塚の建立にも関係があるのでしょうか
もちろん、関係があります。帯塚はきもの愛好女性、染織文化に携わる人々の心の一里塚として、1969(昭和44)年に伊豆蔵福治郎(いずくらふくじろう)氏が発願主となって建立されました。呉服メーカーの創業者で、和装文化に非常に造形が深かった伊豆蔵氏は、和装文化の象徴は帯であり、帯を基本とした供養塚を立てたいという強い想いで、建立場所をお探しになったそうです。そして、古来より「帯は女性の象徴」と考えられてきましたので、京都で女性に所縁のある場所にとお考えになり、二代目𠮷野太夫と縁の深い常照寺にお声がけいただき、太夫の奉納された𠮷野門から一番近い場所をお選びいただき、京都の日本画家・版画家であり、能衣装のコレクターとしても知られる吉川観方(よしかわかんぽう)氏(※3)や「昭和の小堀遠州」と言われ、足立美術館庭園などを手掛けた作庭家の中根金作氏(※4)らによって建立されました。塚石は、帯の形状をもった吉野川産の自然石で、重さは約6tあります。

帯塚

着物の魅力

着物の魅力 - 受け継ぐことができること

和装文化を愛し、発展を願う方々によって、帯塚は建立されたのですね。
ご住職は着物の魅力についてどのようにお考えですか。

まず、受け継ぐことができることですね。私が身につけている袈裟も先代から受け継いだもので、私も次の世代に引き継いでいくのですが、大事に使わせていただき、代々継ぐことに大きな意味があります。私も歴代住職の遺徳や教えをいただき、自身も精進して、次世代に大切なバトンを渡さなければという責任を感じています。

奥田住職が先代から引き継がれた袈裟

おそらく、女性の帯でも、おばあさまやお母さまが使っていらしたものを引き継がれたら、お手入れをしながら大切に使いますよね。引き継いだ帯を締めることは、おばあさまやお母さまの想いを身につけることだと思うのです。代々引き継がれたものは、歴史や積み重なった人の生き様、魂が籠っているからこそ価値があるのだと思います。

着物は「動くアート」立ち居振る舞いまで美しく

継承するごとに、その魅力が増す、貴重さが増すというのが着物の魅力なのでしょうか。
魅力の一つは、継承するごとに魅力が増すことなのですが、着物はやはり「動くアート」でもありますよね。和装の場合は正装しようと思うと、着物や帯、帯締め、草履、バックなど一式のものが必要になってきます。簡単に言えば、美術館とは言わないけれど、アートを身につけることになります。さらに、着物の魅力は、身につけると立ち居振る舞いが綺麗になることですよね。普段着でしたら大股で歩けるけれども、着物ではそうはいきません。しかし、行動が少々制限されることで立ち居振る舞いが美しくなります。そして、立ち居振る舞いが綺麗になると、不思議と気持ちまで整っていきます。着物は、「見た目の鮮やかな美しさ」「所作、立ち居振る舞いが整う」「心が整う」「長持ちし、継承するごとに歴史が増す」などが魅力だと思います。

役目を終えた帯を供養し、それらに尊敬と感謝の念を表す「帯供養」

「帯供養」について

帯を製作する織物メーカーとして、改めて帯や着物の魅力を再確認することができました。ところで、帯塚で毎年、川島織物セルコンが 催させていただいている「帯供養」に長年ご協力いただいていますが、改めて「帯供養」について教えていただけますか。
「帯供養」は、役目を終えた帯など和装品を供養し、それらに尊敬と感謝の念を表す催しとして、川島織物セルコンさんが毎年5月に開催されています。
1969(昭和44)年から始まり、ずっと続けていらっしゃって、昨年55回を迎えられました。今までは社内の行事として行っていらっしゃいましたが、2023年は初めて一般の方にもお越しいただいて、なさっていましたね。

昨年の帯供養にご参列いただいた皆さま、供養対象帯をご提供いただいた皆さまに改めて感謝します。2023年は弊社が創業180周年を迎えた事もあり、その記念行事としてご参列者と供養する帯を広く一般からも募集し、ご希望の方に参列いただきました。

帯供養の様子

「供養」とは「感謝する」こと

「供養」というと故人を弔い、思いを寄せるというイメージをしますが、もっと大きな意味があるのでしょうか。
まず、着物や帯を作る際、繭がなければ絹が取れず、染料がなければ染めることはできませんよね。染料に、草木を用いることもあります。そして、染める人、織る人、縫う人の魂が着物や帯に込められて、さまざまな人の手を経て、製品が出来上がります。
人間の先祖を弔うことに「供養」という言葉を使いますが、帯に対する供養というのは、帯が出来上がるまでの、さまざまな生き物のいのちや人の想いに対する、供養です。それは「感謝すること」です。そういうことが帯供養の主眼ですね。

供養とは「いのち」への感謝なのでしょうか。
現代は、使い捨ての時代ですからね、ものを新しく買い換える時代がずっと続いています。しかし、さまざまな人の手を経てできたものに、使っていた人の想いがたくさん込められ、感謝をしながら継承していく、また使わせていただくことが重要だと思います。継承することは、手間もかかるし、努力も必要ですが、そのため感謝の想いが出てきます。ものを大切にすることは、日本の文化の中にずっと根付いてきたことですから、今一度見直すべきだと思いますね。私は、「ものを大切にすることは、人を大切にすること」だと信じています。ものを大切にできれば、人や環境を大切にでき、そして自分自身を大切にすることに繋がっていきます。仏教では、森羅万象すべてに「いのち」があると捉えます。漢字で書く「生命」は、いわゆる個体の命というイメージがあるのですが、ひらがなの「いのち」というのを私たちはよく使います。それは 植物も動物も、もちろん人間も、自然環境も、石も水も、無機物のすべてに「いのち」があるという意味で用います。ひらがなの「いのち」の中の一部が人間であって、植物や動物という考えなのです。

そのように考えると、世界を優しい目で見られるかもしれないと感じました。「いのち」への感謝やその大事さを、帯塚や帯供養を通してこれからも伝えていきたいと思います。

常照寺の四季

最後に、帯供養は、毎年新緑の美しい5月に行っていますが、次回は趣向を変え、紅葉をお楽しみいただける11月の開催を予定しています。常照寺の自然の魅力を教えてください。
新緑、紅葉のいずれも美しく、甲乙つけがたいですね。新緑の生命力溢れる、瑞々しさは毎年はっとさせられますね。特に𠮷野門に向かう参道の光景がおすすめです。一方、錦秋というよりも少し紅葉が散ってきて、境内に敷き紅葉が広がる頃の夕方の黄昏の雰囲気は素晴らしいです。洛北らしい侘びた、なんとも言えぬ美しい光景です。ぜひ皆さまに秋の常照寺に訪れていただきたいです。

DATA:常照寺の詳細

◆常照寺住職 奥田正叡

1955(昭和30)年生まれ。日蓮宗総本山 身延山久遠寺で修行。同寺山務を経て、1999(平成11)年に日蓮宗常照寺住職となる。茶道裏千家正教授。京都刑務所教誨師。日蓮宗大荒行五行成満。

◆寂光山常照寺(じゃっこうざんじょうしょうじ)

1616(元和2)年に本阿弥光悦より土地の寄進を受け、寂照院日乾上人により開山された日蓮宗の寺院。二代目𠮷野太夫ゆかりの寺でもあり、例年4月の第二日曜日には太夫を偲び「花供養」が行われる。 桜や新緑、紅葉が美しく、春秋は多くの拝観者が訪れる。

住所京都市北区鷹峯北鷹峯町一番地  map
拝観時間8:30 ~ 17:00
拝観志納金大 人 400円
子ども 200円
アクセスJR「京都駅」より
市バス 6系統「鷹峯源光庵前」下車 徒歩2分
地下鉄「北大路駅」より
市バス 北1系統「鷹峯源光庵前」下車 徒歩2分
駐車場有り(15台)
公式HPhttp://tsakae.justhpbs.jp/joshoji/toppage.html

(※1)本阿弥光悦 (ほんあみ こうえつ 1558~1637)
江戸時代初期の数寄者。書家・陶芸家・画家・茶人など多彩な顔を持つ。琳派の創始者としても知られ、後世の日本文化に大きな影響を与えた。

(※2)二代目𠮷野太夫(にだいめ よしのたゆう 1606~1643)
六条三筋町(後に島原に移転)の太夫。夕霧太夫、高尾太夫とともに寛永三名妓のひとりとしても知られる。才色兼備かつ諸芸能に優れ、和歌、連歌、俳諧、書道、茶道、香道、華道などに秀でた。

(※3)吉川観方(よしかわ かんぽう 1894~1979)
京都の日本画家、版画家。絵画や染織などの美術工芸品をおよそ30,000点収集し、これらのコレクションは、現在、奈良県立美術館をはじめ京都府(京都文化博物館管理)や福岡市博物館に収蔵されている。

(※4)中根金作(なかね きんさく 1917~1995)
「昭和の小堀遠州」と称えられた日本の造園家、作庭家。足立美術館庭園をはじめ、日本国内と海外で300近い庭園を手掛けた。

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