ごあいさつ
織物文化館 館長
森 克巳
人類の織物の歴史は、新石器時代より始まっています。その時代の遺跡から土器・石器製の紡錘車が発見されており、これは紡織が新石器時代から行われていたことを物語っています。日本では3世紀頃には養蚕が行われ、絹織物が生産されていました。
その後、人は糸を紡ぎ、染色し、織り綴ることにより、日々の暮らしをより良くし、より豊かにすることを求め、染織の技術を高め、より美しいより価値のある織物を生み出すために、たえまない努力を積み重ね、織物文化を発展させてきました。
私達、川島織物セルコンの仕事は、この人類の歴史的・伝統的・文化的遺産を、正しく継承しつつ、その時代の要請に応えて常に新しい先端技術を加え、より新しく・より美しい織物を創造し、古い伝統を新しい伝統につくりかえ、築き上げ、後世に伝えていくことだと考えています。
この理念を具現化するために、京都は洛北の地に織物の技術と文化のメッカ「市原事業所」を築き上げました。ここには、研究開発部門、伝統技術の手織り工場、近代的な機械織の工場という技術の場に加え、教育・文化の場としての川島テキスタイルスクールと歴史的な染織遺産を所蔵する国内で最も古い企業博物館「織物文化館」を再館し、技術と文化が渾然一体として存在する、世界でもめずらしい施設です。
当館は、1889年(明治22)京都三条高倉の二代甚兵衞自宅の一隅に洋館3階を建築、1階部分には内外の染織品コレクションを、2階には内外の古書コレクションを展示し、3階は部屋全体の内装を織物で装飾し、机・椅子の什器類も全て日本品で調え「織物参考館」と名付け開設し、公開したのが始まりです。そして翌年1月、九鬼隆一帝国博物館総長に「川島織物博物假館」と名付けていただきました。
九鬼総長が「博物館」ではなく「博物假館」と名付けられた意図は、ちょうど帝国博物館を東京・京都・奈良に設置する管制が定められた年であったこと、更に民間の博物館は例がなかったことから「假」を付けられのではと推測できます。これらの事から「織物文化館」は、国内で最も古い企業博物館であると言っても間違いないであろうと思われます。
現在の所蔵品は、初代甚兵衞、二代甚兵衞が世界各国から蒐集した染織品(上代裂・名物裂・中国裂・コプト裂・各種装束、衣裳他)約8万点、内外の古書約2万点、創業以来製作してきた試織裂、原画類が約6万点、合わせて16万点を収蔵しています。
当館の活動は、創業以来製作してきた各種史資料の記録整理・研究、修復してテーマごとに展示しています。また各種機関と共同研究や学術的なプロジェクトにも参画活動を行っています。
下:織物文化館 内観
右:川島織物博物假館 外観と内観
右下:九鬼隆一(初代帝国博物館総長)書「川島織物博物假館」
![]() |
|
![]() |
![]() |





